6)-(ウ)アジルテナガザルにおけるエルシニア・エンテロコリチカO8感染の1例
 
麻布大学獣医学部病理学研究室     中村進一
 

【はじめに】テナガザルはチンパンジー、ゴリラ、オランウータンなどと同じ類人猿で、アジルテナガザルは東南アジアに生息する10種のテナガザルのうちの1種である。一般にサル類はYersinia pseudotuberculosisに対して感受性が高く、多くの集団発生が報告されているが、動物におけるYersinia enterocoliticaの分離はあまりない。特に血清型O-8による自然発生性の感染致死例は今まで一度も報告がなく、今回が世界初の事例である。

Yersinia enterocoliticaについて】1939年に米国で小児の腸炎から初めて分離され、1982年に厚生労働省より食中毒菌に指定された代表的な感染型食中毒菌のひとつである。Yersinia enterocoliticaはヒトに感染した場合、胃腸炎、結節性紅斑、敗血症、関節炎、咽頭炎、心筋炎、髄膜炎など多彩な病像を示すが、一般的な症状は発熱、下痢、腹痛などを主症状とする胃腸炎である。乳幼児では下痢を主体とした症状を示すのに対し、年齢が高くなるにつれて、回腸末端炎や腸間膜リンパ節炎、虫垂炎といった症状を示すようになり、老人では結節性紅斑が多くなる。O-3、O-5、27およびO-9といった比較的病原性の弱い血清型では胃腸炎症状に留まることが多いが、病原性の強いO-8では胃腸炎に留まらず、敗血症のような重篤な症状に至ることが珍しくない。Yersinia enterocolirica O-8は今まで北米に限局して症例の報告があったが、1989年新潟県において世界で初めてノネズミからO-8が分離され、翌年青森県において北米以外で初めてヒトからO-8が分離された。また最近ヨーロッパでもヒトからO-8が分離されたという報告がある。

【症例】1988年5月22日生まれ15歳の雌で体重は5kg。2003年4月1日、顔つきが悪く下痢をしたためビクシリン・ドライシロップ370mgを1日2回、3日間経口投与。4月3日食欲はあるが体を起こすことができなかった。4月4日朝、仰臥位で顔をうごかしたまま。午前10時55分斃死確認。同日午後4時30分から麻布大学病理学研究室において病理解剖を行い病理学的に検索を行うとともに、剖検時採材した各種臓器、糞便および膿瘍を東京農工大学農学部家畜衛生学研究室へ送付し、微生物学的に検索を行った。病理検査により盲結口部膿瘍(4×5×3.3cm)、盲腸膿瘍化(3.8×6.5cm)、多発性肝膿瘍(粟粒大からゴルフボール大)、回盲部リンパ節膿瘍、腎、胃リンパ節膿瘍(粟粒大散在)、脾腫など全身多臓器にわたる膿瘍が形成され、病理組織学的にそれらに菌塊を含む壊死巣や化膿性病変を認めた。また、膿瘍および各種臓器より、Yersinia enterocolitica O-8が分離されたため本症例をYersinia enterocolitica O-8によるエルシニア症とした。


【まとめ】アジルテナガザルを飼育していた動物飼育施設では、同年冬期、リスザル45頭中17頭の糞便からO-8が分離されており、体重300g以下の幼獣5頭がO-8による下痢を主徴として斃死している。リスザル飼育展示施設とアジルテナガザル舎は、見学客が通る大きな道路を隔てられた場所に位置し、その付近には食堂等の飲食施設が存在する。もしノネズミあるいは野鳥が本菌のレゼルボアである場合、ヒトに集団発生を起こす可能性は否定できないため、公衆衛生上非常に重要な問題である。よって今後も発症個体の検索を行い、Yersinia enterocolitica O-8の病理像を明確にいくとともに、感染源の特定、Yersinia pseudotuberculosisとの類症鑑別が必要である。